図書館案内

県立 図書館 富山

4月 - 志田義秀より志田文庫の寄贈を受ける。

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富山市表町において [ ] 表町に再建された富山県立図書館館舎 (昭和22年)4月1日、紀元二千六百年記念富山県立図書館は富山県立図書館と改称された。

富山県立図書館

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または、富山・高岡線峠茶屋町交差点から北へ450m。

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12月2日 - 館内閲覧の業務を開始する。

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(蔵書検索) 932-0231 南砺市山見1400 TEL. (33年)12月6日 - 富山実業協会及び私立富山教育会が富山県立図書館の設立を富山県知事及び富山県会に対し建議する。 4月29日 - 『富山県郷土資料分類表』を刊行する。

詳しくは。 8月20日 - 『富山県内公共図書館所蔵全集叢書総合目録』を刊行する。

県内図書館一覧(リンク集)

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(蔵書検索) 939-0398 射水市黒河5180 TEL. 昭和15年富山県告示第907号(『富山県報』号外(1878頁)、1940年(昭和15年)11月20日、富山県)• 1月13日 - 新館舎建設予定地のボーリング調査に着手する。 3月31日 - 高井進富山県立図書館長が退任する。

国際プラザ・コレクションルームには環日本海諸国の外国語資料、アメリカンセンターより寄贈された図書等を収めるアメリカンコーナー、あるいは上海図書館より寄贈された図書を収める上海の窓コーナーを設置しているほか、県人文庫も同所において開設されている。 3月4日 - アメリカンコーナーを開設する。

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・ 「所蔵資料紹介」にて、同館の所蔵する一部の古絵図の画像がご覧いただけます。

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目録として『中島文庫目録』が刊行されている。

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(平成4年)3月2日 - 大田栄太郎文庫を開設する。 技術の登場と進展と共に進められつつあった図書館における電算技術の導入に対応するため、(昭和58年)9月にはライブラリーセンター支援の下、北陸3県の公共図書館が協同する北陸公共図書館コンピュータ化推進協議会が発足し、(昭和63年)6月14から図書に対する貼付作業に着手、(2年)4月25日からその本格的稼働を開始させた。 このうち160,271冊が郷土資料であり、38,432冊が特設文庫の蔵書である。

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7月27日 - 改修工事の竣工式を挙行する。

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(蔵書検索) 933-0235 射水市海老江練合1-2 TEL. 富山県立図書館編、『富山県立図書館の50年』(34頁)、1990年(平成2年)11月、富山県立図書館• 12月1日 - 片岡安太郎富山県会議員が県会において紀元2600年記念事業として富山県立図書館の開設を訴える。 昭和24年富山県教育委員会告示第26及び27号(『富山県報』第1746号(203頁)、1949年(昭和24年)5月24日、富山県)• (蔵書検索) 931-8452 富山市東富山寿町2-1-14 TEL. 富山県立図書館編、『富山県立図書館年報 平成10年度』、1999年(平成11年)6月、富山県立図書館• 同規則第33条によると、各分館の名称、位置及び担当区域は次の通りである。 また、中高生らが閲覧室を自習目的で使用することを禁止し、ロビーにあった受付で筆記用具以外の持ち込みを禁じていた。

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(平成28年)• 4月25日 - 神通中学校至誠堂を借用し、同所において仮閲覧所を開設する。 10月20日 - 富山県立図書館分館設置規定を廃止し 、富山県立図書館分館設置規則を定める。

古絵図・貴重書ギャラリー

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(昭和26年)• (蔵書検索) 939-1635 南砺市福光7336-4 TEL. 7月4日 - 移動公民館に供する自動車2台が納入され、「あかつき」及び「ありそ」と命名する。 収蔵能力は、(平成11年)の増築リニューアルオープンによって約100万冊増え、約130万冊となった。 10月30日 - 廣瀬文庫を開設する。

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7月20日 - 『富山県立図書館所蔵図書館関係資料目録』を刊行する。

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10月23日 - 蔵書数が30万冊に達する。 休館日 - 月曜日、毎月第4木曜日、年末年始、蔵書点検期間• 8月20日 - 『富山県内公共図書館所蔵全集叢書総合目録』を刊行する。

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(昭和33年)4月4日には産業資料室、同年8月21日には北陸地区PBリポートセンターが開設されている。 富山市茶屋町において [ ] 富山市茶屋町の富山県立図書館館舎 上述のごとき富山県立図書館の発展は、一方において従来の館舎の限界を来しつつあり、書庫の狭隘によって(昭和38年)5月10日には新聞閲覧室を閉鎖し 、翌(昭和39年)7月1日には第二会議室をも書庫に転用せざるを得なくなった。